13.須賀川

[4月22日(6月9日)〜]
    須賀川・相楽等躬宅(7泊)

【芭蕉自筆影印】
①紀行文
 兎角志て 越行まゝに あふくま川を王多類 左り尓會津根高く 右二岩城 相馬 箕張(三春)の庄 常陸 下野の地をさ可ひて 山つらなる 可け(陰)沼登云所を行尓 介ふハ空曇りて 物ゝ影うつら春 須可川の驛尓 等躬といふもの越多つ年て 四五日とゝめら流 先 白河の関 い可にこえつる尓やと問 長途のくるしミ 身心つ可禮 且ハ風景尓魂うハゝ禮 懐旧尓腸を断て 者可ゝゝ志う お无ひめくらさ春
(兎角して、越行まゝに、あぶくま川をわたる。左りに会津根高く、右に岩城、相馬、箕張(三春)の庄、常陸、下野の地をさかひて、山つらなる。かげ(陰)沼と云所を行に、けふは空曇りて、物ゝ影うつらず。須か川の駅に、等躬といふものをたづねて、四五日とゞめらる。先、白河の関、いかにこえつるにやと問。長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかゞゝしう、おもひめぐらさず。)

 風流の初やおくの田植う多
(風流の初やおくの田植うた)

 無下尓こえ無(句無で関こえる)もさす可に登語連ハ 脇 第三登つゝ遣て 一巻となしぬ この宿の傍尓 大キ成栗能木陰を 多のみ(たよりにし)て 世をいとふ僧有 橡ひろふ太山(西行)も可くや登 閒(シズカ)尓覚ら連て 无の耳書付侍ル
 其詞
  栗といふ文字盤栗の木と書て 
  西方浄土尓便あ利と 行基菩薩の 
  一生 杖にも柱にも 此木越用給
  (?)ふと可や
(無下にこえむ(句無で関こえる)もさすがにと語れば、脇、第三とつゞけて、一巻となしぬ。この宿の傍に、大き成栗の木陰を、たのみ(たよりにし)て、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山(西行)もかくやと、閒(シズカ)に覚られて、ものに書付侍る。
 其詞
  栗といふ文字は西の木と書て、
  西方浄土に便ありと、行基菩薩の、
  一生、杖にも柱にも、此木を用給
  (?)ふとかや)

 世の人能見付ぬ花や軒の栗
(世の人の見付ぬ花や軒の栗)

②「かくれがや」歌仙

 かく礼可やめ多ゝぬ花を軒の栗
(かくれがやめだゝぬ花を軒の栗)

【句碑】
①十念寺
 須賀川市池上町101

 風流の者しめや奥乃田う盈唄
(風流のはじめや奥の田うえ唄)

②可伸庵跡
 須賀川市本町 市役所そば


 世能人乃美つけ怒花や軒能栗
(世の人のみつけぬ花や軒の栗)


【芭蕉訪ね地・芭蕉像】
①鏡沼跡(影沼)
 岩瀬郡鏡石町鏡田かげ沼
 





【芭蕉像】
①軒の栗公園
 可伸庵跡から大通りへ



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