16.医王寺

[5月2日(6月18日)]
    瀬の上〜鯖野〜飯坂(泊)

【芭蕉自筆影印】
 月の輪乃渡しを越て 瀬の上と云宿二出ッ 佐藤庄司可旧跡盤 ひ多りの山際 一里半計尓有 飯塚の里 鯖野と聞て 尋ゝ行に 丸山と云耳尋あ多類 是庄司可旧館也 麓尓 大手の跡なと 人のをしゆる尓ま可せて 泪を落シ 又可多ハら能古寺尓 一家の石碑を残ス 中尓も 二人の嫁可志るし 先あ者連な利 をんなゝ禮共 可ひゝゝ敷(甲斐甲斐しき)名能 世尓聞へつる无の哉登 袂をぬらしぬ 墜涙(ダルイ中国)の石碑も遠きにあらす 寺尓入て ちやを乞へハ 爰尓義経の太刀 弁慶可笈をとゝめて 什物(宝物)とす
(月の輪の渡しを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、ひだりの山際、一里半計に有。飯塚の里、鯖野と聞て、尋ゝ行に、丸山と云に尋あたる。是庄司が旧館也。麓に、大手の跡など、人のをしゆるにまかせて、泪を落し、又かたはらの古寺に、一家の石碑を残す。中にも、二人の嫁がしるし、先あはれなり。をんなゝれ共、かひゞゝ敷(甲斐甲斐しき)名の、世に聞へつるもの哉と、袂をぬらしぬ。墜涙(ダルイ中国)の石碑も遠きにあらず。寺に入て、ちやを乞へば、爰に義経の太刀、弁慶が笈をとゞめて、什物(宝物)とす )

 弁慶可笈をも可さ禮帋幟
(弁慶が笈をもかざれ紙幟) 


【句碑】
①詠地付近になし

 (弁慶が笈をもかざれ紙幟 初案 大垣記念館)


②医王寺
 福島市飯坂町平野字寺前45
 本堂左

 笈も太刀もさつき尓かさ禮紙のほ里
(笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり)
(笈も太刀も五月にかざれ紙幟 大垣記念館・素龍本)(芭蕉自筆本になし)




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