21.壺の碑

[5月8日(6月24日)]
    岩切〜

【芭蕉自筆影印】
 壺碑 市川村多賀城ニ有
 つ本の石婦みハ 高サ六尺餘 横三尺計歟(カ) 苔越穿(ウガチ)て文字幽(カスカ)也 四維国界之数里を印(?)ス 此城 神亀元年 按察使鎮守苻将軍大野朝臣東人之所里也 天平宝字六年 参議東海東山節度使同将軍恵義朝臣?(?)修造而(?) 十二月一日と有 聖武皇帝乃御時尓あ多禮り む可しよ梨よみ置る哥枕 多く可多り傳ふといへとも 山崩川流て 道あら多ま里 石盤埋て土尓可く禮 木ハ老て若木尓可者禮者 時移里代變して 其跡堂し可ならぬ事乃み 爰至りてう多可ひ那き千歳の記念 今眼前尓古人の心を閲(ケミ)す 行脚の一徳 存命の悦 羈旅(キリョ)の労を王春禮て 泪も落類者可り也
(壺碑 市川村多賀城に有
 つぼの石ぶみは、高さ六尺余、横三尺計歟(カ)。苔を穿(ウガチ)て文字幽(カスカ)也。四維国界之数里を印(?)す。此城、神亀元年、按察使鎮守苻将軍大野朝臣東人之所置也。天平宝字六年、参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣?(?)修造而(?)。十二月一日と有。聖武皇帝の御時にあたれり。むかしよりよみ置る歌枕、多くかたり伝ふといへども、山崩川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみ。爰至りてうたがひなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲(ケミ)す。行脚の一徳、存命の悦、羈旅(キリョ)の労をわすれて、泪も落るばかり也。)

【句碑】
①壺碑(つぼのいしぶみ)(多賀城碑)
 多賀城市市川字城前27付近
 多賀城・覆(おおい)堂

 阿や免草足尓結者武草鞋乃緒
(あやめ草足に結ばむ草鞋の緒)


【難解文字(?)】
 数里を印(?)ス

  参考文字
   印


 朝臣?(?)修造而(?)

  参考文字
   「朝臣?(?)」
    影印文字漢字変換なし
    各種を調査・探求も見つからず
    添付から「獦」
    「朝」補充し「朝臣朝獦」

   「而(?)」
    添付から「也(?)」
   「朝臣朝獦(?)修造也(?)」




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