塩釜・治兵衛宅(泊)
【芭蕉自筆影印】
そ禮より 野田能玉川 沖の石を尋ぬ 末能松山盤 寺を造りて 末ー松=山と云 松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原尓て 者年を可ハし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)尓盤可くのことき登 可なしさも増りて 塩可ま能浦耳入逢の可年を聞
(それより、野田の玉川、沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて、末ー松=山と云。松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原にて、はねをかはし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)にはかくのごときと、かなしさも増りて、塩がまの浦に入逢のかねを聞。)
【芭蕉尋ね地】
①末の松山
多賀城市八幡
②沖の石
多賀城市
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そ禮より 野田能玉川 沖の石を尋ぬ 末能松山盤 寺を造りて 末ー松=山と云 松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原尓て 者年を可ハし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)尓盤可くのことき登 可なしさも増りて 塩可ま能浦耳入逢の可年を聞
(それより、野田の玉川、沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて、末ー松=山と云。松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原にて、はねをかはし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)にはかくのごときと、かなしさも増りて、塩がまの浦に入逢のかねを聞。)
【芭蕉尋ね地】
①末の松山
多賀城市八幡
②沖の石
多賀城市
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